村野健の日記

日記と日々思うことを書いていきます。必要だなと思ったことを書いていくようにしています。

人は苦しい時、神の「声」を聞くような体験をする事があります。それは様々な形で現れ「偉い方に関係した声」である場合もあるようです。聞く、というより「聞こえる」という表現の方が正しいのでしょうか。極度に集中した状態においては、突然の思いつきが、啓示のように感じられる事があるのだと思います。

 

自分の思いが「外部からの声のような気がする」時、おそらく自分でもその思いに驚いているために、強調して知覚され、そういった形で聞こえるのだと思います。そのような体験を、ある人々は神の啓示を得た、と表現するのだと思います。

 

しかし、「頭の中の出来事とはいえ」、そのような神秘体験は、人々を神秘主義に導いてしまう事もあり、そこから誤った考えや、かたよった思想が生まれてくる場合は、注意が必要だと思います。

 

「申し訳ありません」が、私はそのような体験を語られる時、理解の及ばない部分があり、他の方の意見に「どう対処していいのか、分からないのですが」、その意見を尊重しつつ、「できるだけ失礼のないように気をつけたいと思います」。