村野健の日記

日記と日々思うことを書いていきます。必要だなと思ったことを書いていくようにしています。スイスが好きです。

当時の事件によっていまだに多くの人々が苦しんでいる事について

オウム真理教の事件から22年の月日が流れています。しかし、関係者の中には、いまだに後遺症や裁判などで大変な思いをされている方もいるようです。

 

特に、罪のない加害者家族の方々が、20年以上たった今でも、いまだにひどい仕打ちを受け続けているという事実に、衝撃を受けました。

 

加害者家族の方々は、大変な思いをされているようで、諸事情を含めて体制の批判をされておられました。私は、そこで体制を批判する必要性の有無は判断ができなかったのですが、文章を読んでいると、つらい思いをされている様子が伝わってきました。

 

昔は、罪を犯した人の周囲の人々が、連帯して責任を負う連座という制度があったようです。それが犯罪の抑止力として機能していたのは、分かるような気がします。

 

しかし、連座して処罰されるという行為は、過失のない人々を苦しめるという事であり、現代社会の価値観で考えた時、そこには不条理な部分があるのではないか、と思います。

文明の進んでいなかった昔なら必要な仕組みだったのかもしれません。しかし、少なくとも、社会の仕組みが発達してきた近代社会においては、そのような仕組みは本当に必要なのだろうか、と思いました。罪のない人々が、親類の犯した罪によって処罰される事に恐怖し、人々が日々無実の罪をきせられる事に怯えながら暮らさなければならないのは、どうなのだろうか、と感じました。日本では、特に重大犯罪の加害者周辺の方々が、このような被害にあう事があるようです。抑止力として効果があるのだろうな、と思うと同時に、少し怖いと思いました。

 

 

私は、法律に詳しくないので、連座のような制度の必要性の判断はできないのですが、罪のない人が罰せられるような社会は、いい社会とは言えないのではないか、と思いました。

 

普通に生活していれば、連座のような制度を意識する事はないと思いますし、また、罪を犯した加害者の周囲の人まで怒りの矛先が向くという事も分かります。しかし、実際に虐げられる加害者の周囲の方々の悲痛な文章を読み、その方の立場になった時、このような不条理な行為が許されるのかどうか、と疑問に思いました。

 

被害者だけでなく加害者周辺の人までがいまだに苦しんでいるような悲しい事件でしたので、このような出来事が再び起こらないように祈っています。