村野健の日記

日記と日々思うことを書いていきます。必要だなと思ったことを書いていくようにしています。スイスが好きです。

こちらの話す事を前もって言い当てる事ができる方がいます。きっと頭が良いので、次の言葉を予測するような事ができるのだと思いますが、やられる方は「頭の中が読まれている」ような気がして、あまり好い気はしないように思います。

 

私も、時々そのような事をやってしまうので、会話をする時は、お互いが気持ちよくやりとりできるように、気を付けるようにしています。

 

また、普段は他人の「悪口を考えているだけ」なのですが、ときおり口にすべきではない事を誤って言ってしまう事もあります。これなども、言葉に関して気を付けておくべき事柄だと思いました。

 

普段の会話を円満に行うのは大切な事だと思うので、私もこれらの点について、なるべく気を付けていきたいと思いました。

 

 

私は茅ケ崎に住んでいるのですが、さきほどのニュースで、茅ケ崎に住むプロレスラーの方が「交通事故」のような事件で逮捕された事を知りました。「口論」がもとで傷害沙汰の事件に発展したのでしょうか、茅ケ崎にそのような方がいたとは知らなかったので驚きました。地元で悲しい事件が起きてしまい残念です。「このような事件が再び起こらないように祈っています。」

 

また火事があり、その様子が報道されていました。

 

犠牲者も出たようで、悲しい出来事だったと思います。火事や洪水「地震」などの自然災害は、しょうがない部分もあるのですが、「放火」や殺人などのように「人為的なもの」は、被害者の気持ちを考えると「許せない」と思います。

 

自然災害は減らせませんが、人の誤った行為は、減らす事ができます。悲しい事件を耳にするたびに、心が痛みます。特に最近は「放火」などの火災の報道が多く、そのような行為は「やめてほしい」と思いますし、そのような行為に至る考えをあらためる事は出来ないのか、どれほどの憎しみにさいなまれているのか、考えただけでも悲しくなります。

 

「被害を受けている」人だけが苦しいのでなく、その様子を見た人達全員が、このような被害に対して、苦しく、悲しい気持ちになります。特に、最近はひどい事件が数多く報道されており、他人を苦しめる事よりも皆が寄り添う事の方が、必要とされているのではないでしょうか。

 

多くの方が、皆の幸せを望めるような社会になる事を祈っています。

人は苦しい時、神の「声」を聞くような体験をする事があります。それは様々な形で現れ「偉い方に関係した声」である場合もあるようです。聞く、というより「聞こえる」という表現の方が正しいのでしょうか。極度に集中した状態においては、突然の思いつきが、啓示のように感じられる事があるのだと思います。

 

自分の思いが「外部からの声のような気がする」時、おそらく自分でもその思いに驚いているために、強調して知覚され、そういった形で聞こえるのだと思います。そのような体験を、ある人々は神の啓示を得た、と表現するのだと思います。

 

しかし、「頭の中の出来事とはいえ」、そのような神秘体験は、人々を神秘主義に導いてしまう事もあり、そこから誤った考えや、かたよった思想が生まれてくる場合は、注意が必要だと思います。

 

「申し訳ありません」が、私はそのような体験を語られる時、理解の及ばない部分があり、他の方の意見に「どう対処していいのか、分からないのですが」、その意見を尊重しつつ、「できるだけ失礼のないように気をつけたいと思います」。

子供の頃、消防局の「人工地震」発生車で強い地震を体験したことがあります。体験中は実際に「被害にあっている」ような激しい揺れで、怖かったです。今でも地震は苦手ですが、この時の原体験が影響しているのかもしれません。

 

「いたずら電話」は「何か用があるのでしょうか」と言っても、すぐ切られたりするケースが多く「対応に困ります」よね。実際に「被害にあっている」場合や「やめてほしい」と思っている場合でも向こうから勝手にかかってくるのでどうしようもなく、嫌な思いをする事が多いです。

 

そういった電話は、なるべく相手にしないようにするしかなく、最近は番号非通知の電話には出ないようにしています。

 

 

私もいい年なので恋人の一人くらいは欲しいのですが、体調が悪くて喫茶店や映画館、本屋などに行けません。そのような事もありデートもできません。

 

恋人をつくればと言われるのですが、そのような事情もありつくれません。

 

また、諸事情により、買い物をほとんど禁止されており、欲しいものも買えません。店に入る事も禁止されています。自販機でジュースを買う事もできません。好きな本も漫画も読めず、買う事もできず、以前読んだ本だけを繰り返し読んでいます。

 

飲み物は場の雰囲気で仕方なく飲む時以外は、水とお湯だけしか飲んでいません。

 

そのような事もあり、誰かと買い物に行ったりする事もできず、恋人ができたとしても、デートで店に行く事もできません。

 

周囲の人々から恋人をつくったら、としきりと言われるのですが、体調不良とお店に入れない、買い物ができないといった制約があり、つくることができません。

 

無理やり何かさせようとする行為は、やめてほしいと思います。お手数おかけしますが、その点、よろしくお願いします。

最近、子供の頃のことを思い出していました。中学校の時は楽しかった事がたくさんあって、部活を頑張った事や友達と遊んだ事などはいい思い出です。学校には「まつ」の木がたくさんあって、校庭でよくみんなで遊んでいたのですが、ふと学校に来なくなった女の子がいた事を思い出しました。

 

「大変な思いをしているようなので、気になった」のですが、そのまま声をかける機会もなく、お互い卒業してしまいました。もうあれから15年近くたっているので「今どうしているのか分からないのですが」、「大変な思いをしている様子」だったので、その後「元気で幸せになって」いるといいな、と思いました。

私は、以前、小説を書いていたのですが、小説を書いていると、後から他人のアイディアと似ている事が分かるケースがあります。そのような時は、盗用になってしまうので、作品を廃棄したりするのですが、後から類似点に気付き「多くの作品を廃棄する事になってしまいました」。どこまでが盗用になるのか、「どの作品が盗用なのか分からないのですが」作品としてウェブなどに発表する場合は問題になる事もあり「疑わしい作品は廃棄」せざるを得ない事もあります。考え付いたアイディアも、すでに誰かが考えている物である事が多く、オリジナルの作品を作るのは難しいな、と思いました。

 

作家や仲間同士で意見交換や「作品などのアイディアのやりとり」をする場合は、問題になるケースもあり、「その点は以前話しした通りでそれ以上付け加える事もない」のですが、一般的に考えた時、できるだけ一人で考える事が正しいと思います。