村野健の日記

日記と日々思うことを書いていきます。必要だなと思ったことを書いていくようにしています。スイスが好きです。

受験当時を振り返って

私が大学を受験した時、受験の書類手続きも疎かになってしまうような事がありました。

 

たとえば、受験の申込書を送付する時、申込書の不備を直さないまま「送付してしまった」事がありました。これでは、受験票の「はがき」が送られてくることもなく、受験もできません。この時は、大変疲れており、受験生なのに申し込み書のミスの修正を考える事もありませんでした。今になって思うとひどい状態だったと思います。

 

このような書類は、記載内容をきちんとする事は基本的な事であり、ミスをそのままにした状態で書類を送付するのは「いけない事だった」と思うのですが、不備があっても「あまり考えずに送付してしまいました」。

 

募集要項には様々な項目があり、大学毎に色々な記入欄があって「こうすればいいのだろうか、と思いながら」記入していたのですが、そこで不備がある事に気づきました。しかし、結局「そのまま送付してしまいました」。

 

不備に気づきながら、それを残して書類を送付したことについては、疲れていたという事に加え「ブレーキが効かなかった部分があり、今思っても不適切な事だった」と思います。また、「その時は、その点についてあまり深く考えなかったように思います」。

 

今になって思えば、当時は、様々な要因が重なり疲れていました。応募事項をきちんと書くという規則も疎かになってしまうような「疲弊した状態」で、「判断能力が低下していた」のだと思います。しかし、「その後、いけない事であったという認識を新たにし」、このままでは受験も出来なかったので「後に、修正しようとして」受験センターに赴き、「修正手続きを行いました」。

 

そのようにして、最終的に大学受験のテストを受ける事ができました。しかし、「修正手続きをしたり」、「後々ではありますが時間を割いたにもかかわらず」、結果として入試には不合格となり「いい結果は得られませんでした」。

 

今になって思えば、応募の段階から疲弊しており、その後も「そのまま悪い状態が続いた」コンディションでしたので、受験しても上手くいかないのは当たり前だったような気がします。

 

物事を正しい手順で進めていく気力もなく、空回りしていた事も確かだと思います。

 

このような悪いコンディションの時は、自分を客観的に見つめて自分の状態を正確に認識し、自己管理をしっかりと行う事が大切なのですが、当時はそこまで考えが至りませんでした。

 

ストレスをうまくコントロールし、発散させることが出来るようになると、身体のリズムも整ってくるので、最近は、自己を客観視し、疲れているな、と思ったら、ストレスを発散させたり、ストレスとうまく付き合う方法を模索するようにしています。

SOHOの仕事について

最近は、クラウドソーシングで記事を書く仕事をしています。私の場合、記事の執筆や翻訳業務など、応募の集まるサイトから仕事を選び、短期間の契約で行う仕事が多いです。

しかし、そのようにして記事を執筆していると、「書いた物のネタが不正利用され不満に思う事もあった」りするので、記事の掲載先が書かれていないような仕事は、あまり好ましくない、と思いました。最近は、インターネットで仕事をするときは、できるだけよさそうな仕事を選び、会社名や依頼者名の見える仕事をするようにしています。

 

インターネットを使用して在宅で仕事のできるクラウドソーシングのような形態は、始まったばかりであり、賃金や著作権がきちんとした仕事が増えてくると好ましいのではないか、と思いました。

テロ等準備罪について

最近、テロ等準備罪が成立しました。これを受けて、テロ等が発生する前に事前に防ぐことが出来るようになったのは、好ましい事であると思います。しかし、この法案は、様々な問題を内包している側面もあり、個人的には監視社会になるのではないか、という危惧を抱きました。

 

しかし、省庁の文章によると、このような制度を導入していないのは、世界でわずか11か国であり、経済規模の大きい国では日本だけが採用していないようです。また、監視社会・密告社会になることもないと記されているので、ひとまず安心しました。

 

私は専門家ではないので、具体的にどのような方法でテロ等を防止するのか分からないのですが、この制度を悪用して監視社会になってしまわないように、うまく運用してほしいと思います。

 

 

また、このような法整備が進んだことで、サリン事件などのテロが起こらないようになる事は、好ましい事だと思います。

 

地下鉄サリン事件のようなテロは、無関係の人々を巻き込むものであり、そのような事件はあってはならないものだと思います。罪のない人が巻き込まれるような事件は、悲しいものであり、再発防止に努めていく事はとても大切な事だと思います。

 

私は、大量の被害者を出すような非人道的な兵器の使用には反対であり、日本で発生した化学兵器を使用したテロは、ひどいものであったと思います。

 

当時のテロ事件での訴訟や派生する様々な問題は、20年以上たった今でも、人々を悩ませ、苦しめており、そのような人達の様子を見ると、皆さんの中で事件が過去のものとなり前向きに生きていけるようになればいいな、と思いました。

 

しかし、このような悲しい事件は、忘れてしまいたいと思う反面、再発防止のため、後世に伝えていかなくてはならないのではないか、とも思いました。

 

そのように考えた時、事件の被害者や事件に関わった人たちの中で、この問題に対して、心の中で上手く折り合いをつける事ができ、納得できるようになるといいな、と思います。

 

 

いずれにしろ、ひどい事件でしたので、新しい法案が有効に、適切に運用される事で、テロなどの事件が再び起こらないように祈っています。

当時の事件によっていまだに多くの人々が苦しんでいる事について

オウム真理教の事件から22年の月日が流れています。しかし、関係者の中には、いまだに後遺症や裁判などで大変な思いをされている方もいるようです。

 

特に、罪のない加害者家族の方々が、20年以上たった今でも、いまだにひどい仕打ちを受け続けているという事実に、衝撃を受けました。

 

加害者家族の方々は、大変な思いをされているようで、諸事情を含めて体制の批判をされておられました。私は、そこで体制を批判する必要性の有無は判断ができなかったのですが、文章を読んでいると、つらい思いをされている様子が伝わってきました。

 

昔は、罪を犯した人の周囲の人々が、連帯して責任を負う連座という制度があったようです。それが犯罪の抑止力として機能していたのは、分かるような気がします。

 

しかし、連座して処罰されるという行為は、過失のない人々を苦しめるという事であり、現代社会の価値観で考えた時、そこには不条理な部分があるのではないか、と思います。

文明の進んでいなかった昔なら必要な仕組みだったのかもしれません。しかし、少なくとも、社会の仕組みが発達してきた近代社会においては、そのような仕組みは本当に必要なのだろうか、と思いました。罪のない人々が、親類の犯した罪によって処罰される事に恐怖し、人々が日々無実の罪をきせられる事に怯えながら暮らさなければならないのは、どうなのだろうか、と感じました。日本では、特に重大犯罪の加害者周辺の方々が、このような被害にあう事があるようです。抑止力として効果があるのだろうな、と思うと同時に、少し怖いと思いました。

 

 

私は、法律に詳しくないので、連座のような制度の必要性の判断はできないのですが、罪のない人が罰せられるような社会は、いい社会とは言えないのではないか、と思いました。

 

普通に生活していれば、連座のような制度を意識する事はないと思いますし、また、罪を犯した加害者の周囲の人まで怒りの矛先が向くという事も分かります。しかし、実際に虐げられる加害者の周囲の方々の悲痛な文章を読み、その方の立場になった時、このような不条理な行為が許されるのかどうか、と疑問に思いました。

 

被害者だけでなく加害者周辺の人までがいまだに苦しんでいるような悲しい事件でしたので、このような出来事が再び起こらないように祈っています。

はがきを使い懸賞などに応募する事について

最近ははがきを使う機会がなくなってきました。私の周りでは、はがきは、ラジオ番組に「ネタを送る」事や、懸賞に応募したりする使い方が多かったと思います。私も、懸賞には何度か応募したことがあります。最近では「覚えている限りでは、一度だけはがきに書いて出した事がありました」。

懸賞に応募すると、「その後に」その他の懸賞の案内やメールなどが家に「自動的に送られる」ものもあり、「登録の解除を申請した後も、続けて送られる」ものもあります。多くの場合、そのような時は「その後、そのままにしてしまった」りするのですが、頻繁に案内メールなどが送られてくると「きちんと解除をしておけばよかった」と思う事があります。

 

「最近は」、何かを購入したり、登録したりするときは、案内やメールが家に「送られることがないように、解除などを行うようにしています」。

インターネットで出来る仕事について

最近は、インターネットで在宅で出来る仕事をしています。

 

仕事の募集を調べると、自身のアプリの評価を不当に上げるための仕事などがあり、そういったものは好ましくないな、と思います。評価を不当に操作するための仕事や、何が目的なのか、「どこが出自なのか分からない」ような仕事などには「手を出さないようにしています」。最近は家電の紹介や翻訳の記事を書く仕事をする事が多く、ひとつ「千」円ほどで記事を書く事ができる仕事をすることが多いです。

 

しかし、さきほどの「千」円の記事のように、インターネットで募集している仕事の一部には「誰からきたものなのか分からない」仕事や、「誰に送られていくのか分からない」ような仕事があります。そのような仕事よりは人同士の顔の分かる関係を築いていきたいと思います。

 

自分の仕事やそこで作り上げたものが「誰に渡っていくのか分からなかった」ようなケースは、よくない事であると思います。今日おこなった「千」円の仕事も、依頼者の顔も名前も見えず、書いた記事がどこに送られていき、どこに掲載されるのか分からないので、その点は、あまり良くないかな、と思います。このような「出自のよく分からない仕事などには、なるべく関わらないようにしています」。個人的には、人の顔の見える関係が理想だと思います。最近は、インターネットでの仕事も、人と会う場合も、人と人との触れ合いを感じる事のできるものを大切にするようにしています。

 

その他にも、記事によっては様々な問題があるため「不適切な内容で消去した」りするものもあり、記事を書く事には、様々な問題や難しい部分があると思います。

 

最近、インターネットで募集をしている仕事の多くは、在宅で仕事を行う事ができ、自宅でお金を稼げるのは良いことだと思います。私もそこで仕事をしているのですが、そのような媒体で仕事をくれる人がいるので、その点には感謝しなければいけないな、と思います。

 

自宅で働く事ができ、お金を得る事ができるのは良い事ですが、そこに至る過程に「周りの人達の助けがあったかもしれない」事を覚えておくのは大切な事だと思いますし、それを忘れるのは「よくない」ことであると思います。

300円賄賂で得たかもしれませんが、当時は精神的に錯乱状態にあり、ものの考え方がおかしくなっており、正常な判断が出来ませんでした。

申し訳ありませんでした。